認知的不協和って聞いたことあるでしょうか
心理学の言葉であんまり聞きなれないかもしれませんが、その現象自体は誰にでもあてはまる、あるある現象だったりします
心の底で思ってるのとは逆のことをしてしまうのもこの認知的不協和のせいだったりします
自分に矛盾はないと思いたい
人は自分の信念や感情、行動とは矛盾する事実を突きつけられると、居心地の悪さを感じます。
思ってることと現実が逆になっていると気分が悪いってことですね
この矛盾した状態を認知的不協和と呼びます
認知的不協和の状態になると人は、自分の信念、感情、行動と事実のどちらか一方を否定して、矛盾を解消しようとします。
ふつうなら行動を起こして自分が望む方に現実を変えようとするって思うじゃないですか
でもさっき言ったように信念、感情を現実と矛盾しないように変えてしまうこともあるんです
この認知的不協和は人の行動にどのように影響を与えるのでしょうか。
酸っぱい葡萄
イソップ寓話の一つである酸っぱい葡萄の話も、この認知的不協和の一例です。
おなかをすかせたキツネがおいしそうなブドウをみつけました
食べようとして懸命にとびつきますが、ブドウはどれも木の高いところにあってとどきません
何度やっても届かず、キツネは悔しさから
”どうせこんなブドウはすっぱくてまずいだろう”
と負け惜しみを残して去っていきました
この話では、キツネの葡萄がほしいという気持ちと、葡萄がとれないという事実があり、キツネの望みはかないませんでした。
そこでキツネは、自分の葡萄がほしいという気持ちを、葡萄が酸っぱいだろうと決めつけることで否定し、感情と事実の矛盾を解消しようとしています
このように、周りと自分の違いを受け入れられず、どちらかを否定するということは、私たちの身の回りにもたくさんあるように思います。
一貫性バイアス
認知的不協和は、今の自分と過去の自分との違いについても生じます
人は自分の意見が時間とともに、どう変わってきたかをきちんと認識できているわけではなく、自分の考えは昔から変わっていないと思う傾向があります。
これが一貫性バイアスです。
こんな実験があります。
この実験で過去のことを覚えていた人の中で本当に17年前のアンケートから考えが変わっていなかった人も中にはいるはずです
ですが、多くの人が考えが昔から変わっていないと答えるのは一貫性バイアスが働いた可能性が高いです
昔の自分と今の自分で考えが矛盾することが受け入れられなくて、過去の自分の考えを書き換えたのです
この実験のように、長い期間を経て考えが変わった場合でなくても、この一貫性バイアスが影響することはあります。
それを示すこんな実験があります。
無作為に選ばれたグループAとグループBの学力が同じくらいだとするとテストの結果も同じくらいになるはずです
が、聖書を読んだグループの方が平均点が低くなりました
グループAが採点のときに不正をした可能性が高いです
グループBが不正をしなかったのは聖書の十戒を読んだことで、そこにある”偽証しないこと”という戒めの1つが効いたのだと考えられます
聖書を読んで十戒を改めて認識した被験者たちにとって、採点で不正をするという行動の矛盾が受け入れられなかったのです
認知的不協和に邪魔される?
ここで紹介したテストのような認知的不協和や一貫性バイアスの働き方なら別に害はなさそうに思いますが、場合によっては酸っぱいブドウの話のキツネのように自分の考えを歪めてしまうこともあります
なかなか思ったとおりになさそうな現実を見て、自分は最初っから今ある現実を望んでたんだと思うようになるということです
なにか夢があっても、”リスクが大きいし・・・”とか”自分は今の生活で満足してる”とか本心をなだめようとしているうちにそれが自分の本心だと思いこんでいるけど、なんかモヤモヤするみたいな
そんな人はもう一度自分の本心を振り返ってみてもいいかもしれません
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