相関関係は根拠ではない
英語で表現したときの頭文字をとってCINACという略語があるほど科学者の間ではよく使われるフレーズのようです
このフレーズを思い出す人が増えれば、批判的に物事を考える人が増えることになるかもしれません
僕たちが勘違いしやすい相関関係と根拠の違いについて考えてみましょう
こんな例で考えてみましょう
まずは駅のホームを思い浮かべる。ホームにやってくる人がどんどん増えていき、ホームが人でいっぱいになるとあら不思議!そこに電車がやってくる。さて、人々が電車をホームにやって来させた(AがBを招く)のだろうか?それとも、電車が人々をホームにやって来させた(BがAを招く)のか?どちらも違う。時刻表が、人と電車の両方をホームにやって来させたのだ。
天才科学者はこう考える ジョン・ブロックマン編 ダイヤモンド社
人がホームに増える→電車が来るという流れから見ると人がホームに集まったことで人が電車を呼び寄せたように見えます
ですが、別の見方をすると電車が自分が駅に着く前に人を呼び寄せてその結果人がホームに増えたとみることもできます
ですが、実際は人は時刻表の電車が来る時間をめがけて駅に来ているし、電車も時刻表通りに走って駅についています
人が駅に来るタイミングと電車が駅に来るタイミングはどちらも同じタイミングなので相関があるということが言えますが、人が来たから電車が来るのでも電車が来そうなのを見て人が駅に集まっているわけでもありません
この差が相関と根拠の差なのかなと思いました
身の回りでも相関関係を根拠と勘違いしていないだろうか
例題として聞けば、電車と人の関係がお互い根拠ではなく相関があるだけであると気づくことができます
ですが、自分の身の回りで根拠ではなく相関関係があるだけのものを直接の因果関係があると考えてしまっていることはないでしょうか
ギャンブルのオカルト的行動やジンクスなどもそういうのに当てはまる気がします
こうやってレバーオンすればスロットが当たるみたいなオカルトってたくさんあると思うんですが、その儀式を行えばスロットが当たるという根拠はありません(相関関係さえもないのかもしれませんが)
仕事ができる人の多くがやるモーニングルーティーンがあったとして、そのモーニングルーティーンをマネすれば誰でも仕事ができるようになるわけではないかもしれません
それはモーニングルーティーンをやることと仕事がうまくいくことには相関関係はあるかもしれませんが、実際に仕事を上手くいかせるのはモーニングルーティーンを欠かさずできる真面目さとか繰り返しできるその人の性格とかそういうものが根拠になっていると思います
表面的に見えている2つの物事の関係性だけを見て法則性を見出そうとするのは人間の得意なパターンだと思いますが、根拠は別のところにあるかもしれないと一歩引いて物事を見ようとすることも大事かもしれません
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